東京地方裁判所 平成3年(ワ)9376号 判決 1995年3月24日
原告
株式会社住宅信販
右代表者代表取締役
桑原芳樹
右訴訟代理人弁護士
千原曜
同
久保田理子
同
清水三七雄
同
原口健
同
大久保理
同
上西浩一
同
中小路大
同
野中信敬
右野中信敬訴訟復代理人弁護士
安田修
被告
株式会社産業経済新聞社
右代表者代表取締役
鹿内宏明
被告
石川眞
被告
岡部伸
右三名訴訟代理人弁護士
加藤義樹
右訴訟復代理人弁護士
土赤弘子
主文
一 被告株式会社産業経済新聞社及び被告岡部伸は、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成三年七月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その一を被告株式会社産業経済新聞社及び被告岡部伸の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、原告に対し、各自五億円及びこれに対する平成三年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告株式会社産業経済新聞社は、原告に対し、本判決の確定した日から七日以内に、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、毎日新聞及び産経新聞の各朝刊のいずれも全国版(但し、産経新聞については東京版及び大阪版。)社会面に、別紙一記載の謝罪広告を、二段抜き一五センチメートル幅で、表題部を一号ゴシック体、宛名及び被告名を二号ゴシック体、その他の部分を八ポイントの各活字をもって一回掲載せよ。
第二 事案の概要
一 本件は、暴力団関連企業である旨の記載のある新聞記事を掲載された原告が、当該新聞を発行した新聞社、当該新聞の編集者及び当該記事の取材担当者を被告として、損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めた事案である。
二 前提事実(証拠を掲げた部分以外は、当事者間に争いがない。)
1 当事者
原告は、昭和五三年二月に設立された不動産の販売、斡旋等を目的とする会社で、原告代表者がその設立時から代表者を務めている(甲第五号証の一ないし六)。被告株式会社産業経済新聞社(以下「被告産経新聞」という。)は、日刊新聞の印刷発行及び販売を目的とし、日刊新聞である産経新聞を発行している会社、被告石川眞(以下「被告石川」という。)は、被告産経新聞の編集局長、被告岡部伸(以下「被告岡部」という。)は、被告産経新聞の社会部記者である(被告石川の関係については被告岡部本人尋問の結果)。
2 被告産経新聞は、同社の発行する産経新聞平成三年七月一一日付け発行の朝刊全国紙社会面に、「稲川会関連の不動産会社『住宅信販』」などの記載がある記事(別紙二のとおり。以下「本件記事」という。)を掲載した。
3 被告岡部は本件記事に係る取材を担当した。
三 争点
1 本件記事が原告の名誉を毀損するか。
2 本件記事の真実性及び本件記事を真実と信じる相当な理由の有無
(被告らの主張)
本件記事は、わが国最大の金融機関である住友銀行が広域暴力団である稲川会関連企業に多額の融資を行っていたことを報道するもので、その内容は公共の利害に関するものであって、その目的は公益を図ることにある。
稲川会の二代目会長であった石井進(以下「石井」という。)が実質的に支配していた岩間開発株式会社(以下「岩間開発」という。)の役員に原告代表者及び同人と親しい関係にあった佐藤茂(以下「佐藤」という。)が就任していること、石井が岩間開発を利用して巨額の資金集めを行っており、原告もそれに協力したこと、原告の子会社が佐藤を通じて石井から融資の依頼を受け、石井が経営する会社に多額の融資を行ったことによれば、原告は稲川会の会長であった石井と関連していると評価できるので、本件記事は真実である。
仮にそうでないとしても、被告産経新聞は、平成二年一〇月ころ、社会部次長の小島を中心に、被告岡部ら遊軍記者、司法、警察庁及び警視庁担当記者により、金融機関による過剰融資の問題についての取材班を編成し、関係会社の商業登記簿謄本、不動産登記簿謄本を収集するほか、東京地方検察庁等の捜査機関、住友銀行広報部及び佐藤等への取材を重ねた上で本件記事を報道するに至ったのであるから、本件記事が真実であると信じる相当な理由がある。
3 損害額
(原告の主張)
以下の(一)ないし(三)の内金として五億円。
(一) 本件記事の掲載により、原告の関連企業である株式会社富津総合開発(以下「富津総合開発」という。)が、千葉県富津市において行っていた総合リゾート開発事業(以下「本件開発事業」という。)の事前協議に対する同意の取得が五か月遅れ、また右事業の対象地の地権者が右事業に対する同意又は用地の売却に難色を示したことにより、本件開発事業の進行が少なくとも五か月遅延した。
原告は、富津総合開発に四一億六〇〇〇万円の資金を投入していたため、右の遅延期間における金利(年一〇パーセント)相当額の損害(一億七三〇〇万円)を被った。
(二) また、本件開発事業による事業利益は少なくとも一一四億円を下回らないが、原告と富津総合開発は、本件開発事業によって得られる事業利益を折半する合意をしていたため、原告に帰属する利益は少なくとも五七億円である。しかし、本件記事の掲載により、右のとおり本件開発事業の進行が少なくとも五か月遅延したので、原告は、右金額に対するその間の予想金利(年六パーセント)相当額の損害(一億四二五〇万円)を被った。
(三) 原告は、本件記事により、社会的経済的に極めて深刻な影響を受けており、原告の被った信用失墜による損害は三〇億円を下回らない。
4 石川の関与
(被告らの主張)
石川は、本件記事の作成及び掲載には関与していない。
第三 判断
一 争点1について
本件記事(その内容は前記認定のとおり。)には、見出し部分に「稲川会関連不動産会社『住宅信販』」、リード部分に「経済進出が表面化した稲川会関連企業に大手都銀が融資していた事実が明るみに出たのは初めて。」、本文に「融資を受けていたのは、不動産会社『住宅信販』。」などの記載があり、これらの記載によれば、本件記事を読んだ一般読者は、原告が経済活動を進めている広域暴力団稲川会に関連する企業であるとの印象を持つことは明らかであるから、本件記事は原告の名誉を毀損するものである。
二 争点2について
1 本件記事の真実性について
(一) 本件記事のうち、原告の名誉毀損にかかる部分は、原告が稲川会の関連企業であるとする部分であるが、原告と稲川会との間に資本関係があることや、原告代表者を始めとする原告の役員及び従業員の中に稲川会の構成員又は準構成員である者若しくはあった者がいることを認めるに足りる証拠はない。
(二) 甲第二号証の一ないし四、乙第二ないし第八号証、第九号証の一ないし三、第一〇ないし第一四、第一九、第二〇、第二三号証、第二四号証の一、二、第二八、第三四ないし第三七、第四〇、第四三号証、第四四号証の一、二、第四五、第五二、第五三号証、証人田中誠司(以下「田中」という。)の証言及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告代表者はかねてから川崎定徳株式会社の社長であった佐藤と親交があり、佐藤の片腕と評されることもあった。一方、佐藤は、石井と親交があった。
(2) 岩間開発は、昭和五九年六月六日に、株式会社太平洋クラブが、茨城県西茨城郡岩間町上郷地区に開発したゴルフ場(太平洋クラブ岩間コース、現岩間カントリークラブ)の運営のために、同社の一〇〇パーセント出資により設立した株式会社であるが、昭和六一年一二月二日、東京佐川急便株式会社(以下「東京佐川」という。)に売却された。佐藤は、この売却に、立会人として関与した。
(3) 石井は、昭和六〇年ころから経済進出を試み、北祥産業株式会社(以下「北祥産業」という。)、北東開発株式会社(以下「北東開発」という。)、株式会社天祥(以下「天祥」という。)などの会社を設立して実質的に支配していた。
(4) 右の岩間開発の東京佐川への売却の直後の昭和六一年一二月二二日、東京佐川と北東開発は、右の岩間開発購入の契約者を北東開発に変更する旨の合意をし、石井が岩間開発の実質的なオーナーとなった。
(5) 平成元年一月に、佐藤及び原告代表者が岩間開発の取締役に、佐藤が同社の代表取締役に、大場俊夫(以下「大場」という。)が同社の監査役にそれぞれ就任した。このうち、大場は、北祥産業の監査役を務めており、稲川会の金庫番とも評されていた。
(6) 同年三月二四日に、岩間開発は、一〇〇〇株の増資を行い、そのうち六〇〇株を天祥が、四〇〇株を佐藤が引き受けた。
また、このころ、岩間開発代表取締役佐藤名義で、額面四〇〇〇万円の岩間カントリークラブの会員資格保証金預り証が九六〇口発行され、佐藤がそのうち七五口(三〇億円)を引き受けた。佐藤の引受分の資金調達は原告が行った。また、これによって集められた金の一部(約一六〇億円)は、石井の東急電鉄株等の購入資金に使用された。
(7) 原告の子会社である富津総合開発は、平成二年五月から一〇月にかけて、東京佐川の連帯保証を得て、北東開発及び北祥産業に対し、総額五〇億円の資金援助を行った。
(8) 平成三年三月、佐藤が岩間開発の全株式を取得した。大場を含む岩間開発の役員は退任し、同月二九日に、改めて佐藤及び原告代表者を始めとする原告関係者が岩間開発の役員に就任し、原告代表者が岩間開発の代表取締役に就任した。
(9) 平成三年四月、富津総合開発は、日本トータルファイナンス(旧商号千代田ファイナンス)が岩間開発の所有する物件に設定していた根抵当権を譲り受け、その債務(一七〇億円)を肩代わりした。
(10) 平成三年九月三日に石井が死亡した後、石井が生前株式購入のために借り入れていた資金(合計約三六〇億円)の返済が問題となり、この時、岩間開発は、右の債務を重畳的に引き受け、その担保となっていた株式を取得した。
(11) 平成三年七月ころには、岩間開発の東京事務所の所在地及び電話番号は、原告の本店のそれと同一であった。
(三) 右のとおり、原告には、その代表者が、稲川会の会長を務めた石井と親交があった佐藤と親しい関係にあり、石井が実質的に支配していた会社の役員に名を連るなど、原告と稲川会との間に一定の関係があることを窺わせる事情は認められるが、原告と稲川会との間に資本関係があったり、稲川会の構成員が原告に関与している事実は認められず、右に認定した事実のみから原告が稲川会の関連企業であるとまで判断することはできない。
なお、右のとおり、平成三年三月ころから、原告と岩間開発との間に、役員の構成が共通であり、原告の本店と被告の東京事務所の所在地も同一であるなどの関係があることが認められるが、平成三年四月ころ岩間開発の経営主体が石井から原告に代わっていることに照らせば、このころから原告と岩間開発との間に関連があったとしても、そのことによって直ちに原告と稲川会との関係を断ずることはできない。
また、この平成三年の岩間開発の経営主体の交替に関し、乙第四二号証には石井が岩間カントリークラブを石井の息子に承継させるために佐藤に譲渡したものであることを窺わせる記載があるが、右の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
2 本件記事の内容が真実であることを信じる相当な理由の有無
(一) 乙第四一、第五一号証、被告岡部本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。
(1) 平成二年になって、銀行がいわゆるバブル経済期に行った過剰融資や暴力団の経済進出が問題視されるようになり、同年一〇月ころ、住友銀行その他の大手金融機関の株式の仕手集団への融資が明らかとなったことなどから、被告産経新聞の社会部は、司法、警察庁、検察庁担当記者及び被告岡部らの遊軍記者により証券・暴力取材班を編成し、これらの問題についての取材にあたることとした。
平成三年六月ころ、右取材班は、住友銀行が、石井が実質的に経営していた岩間開発の代表者の関係する会社(原告)に一〇〇〇億円近い多額の融資をしている旨の情報を得て、取材班を再編成した(以下、右の被告の取材班を「取材班」という。)。
(2) 取材班は、関係会社の商業登記簿謄本、不動産登記簿謄本などの資料を入手し、東京地検などの捜査機関、住友銀行及び佐藤等に対する取材を行い、住友銀行が原告に数百億円の融資を行っていたこと、原告代表者が岩間開発の社長を務めていること、平成元年一月から、原告代表者と佐藤が岩間開発の役員を務めているが、この後に発行名義人を岩間開発代表者佐藤とする会員資格保証金預り証が発行され、これによって集められた資金の一部が石井の東急電鉄株購入の資金になっていたこと、岩間開発の東京事務所の所在地及び電話番号が、原告の本店の所在地及び電話番号と同一であること、岩間開発の前監査役である大場は、北祥産業の監査役を兼ねていたこと、岩間開発の債務を平成三年四月に原告の子会社である富津総合開発が肩代わりしていたことなどを確認し、これらの情報を総合的に判断して、本件記事が作成された。
なお、被告岡部は、右の事実関係について確認するために原告に取材を申し入れたが、原告代表者が不在との理由で断られ、取材することができなかった。
一方で、以上の取材を通じて、取材班は、原告の役員、従業員には稲川会の構成員はいないこと、直接原告に稲川会又は稲川会と密接に関連する会社が資金を融資している関係はないこと、本件記事の掲載当時、岩間開発の実質的な経営者は、佐藤に代わっていたこと及び大場は既に岩間開発の監査役を辞任するなど、平成三年四月の段階で岩間開発の役員構成が変更していたことを認識していた。
(二) 取材班が、本件記事の作成当時に確認していた情報及び認識していた事実は右のとおりであるが、これらによっては、いまだ原告が稲川会の関連企業に当たると断定することはできず、取材班はこのことを認識すべきであったといわざるを得ない。しかし、被告岡部を含む取材班は、本件記事を作成し、原告が稲川会の関連企業である旨を報じたものであるから、これが真実であると信じるについて相当な理由があったということはできない。
三 争点3について
1 (一)及び(二)の損害について
(一) 甲第三号証の一、第八、第九号証、第一一号証の一ないし三、第二二ないし第二五号証並びに証人田中誠司(以下「田中」という。)及び同坂倉一郎(以下「坂倉」という。)の各証言によれば、以下の事実が認められる。
(1) 富津総合開発は、原告が千葉県富津市に計画したリゾート開発事業(仮称「リゾートビラ富津開発計画」、以下「本件開発事業」という。)を推進するため、昭和六二年四月に原告が設立した会社であり、設立以来本件開発事業を行っていた。
(2) 平成元年の段階では、ゴルフ場、テニスコート、その他レジャー施設、別荘などの営業を平成五年ころに開始する予定であった。
(3) 富津総合開発は、平成二年八月一四日に、千葉県知事に対し、本件開発事業について事前協議の申し出をした。
(4) 平成三年一月の段階では、同年中に事前協議に対する同意を得て、直ちに本許可申請をし、同年一一月には本許可を得て、同年一二月には造成工事を開始し、平成八年六月に全施設が営業を開始する予定であった。
(5) 平成三年七月一一日に本件記事が掲載された後、行政当局や地権者などから、原告と暴力団の関係について説明を求められ、富津総合開発は、同年一一月ころまでその点について釈明を続けた。
(6) 千葉県知事は、同年一二月六日に、本件開発事業について事前協議に同意した。
(7) 富津総合開発は、地権者の同意を取り付け、平成六年九月二八日に、本件開発事業について開発行為許可の申請(本申請)をしたが、このとき、着工を平成七年四月一日、完工を平成一一年三月三一日と予定していた。
(二) 証人田中及び同坂倉は、通常は、事前協議の申し出があってから一年程度で同意が得られるので、本件開発計画については、本件記事の掲載当時、間もなく事前協議の同意が得られることが確実であった旨証言する。しかし、大規模な開発事業の場合は、行政当局の事務も複雑なものになるので、事業に対する同意や認可を得るまでの期間が予想よりも長くかかることもあると考えられるところ、右の各証言によっても、事前協議の申し出から一年程度で同意が得られるとする根拠が明らかでないこと、坂倉は、富津総合開発の行政当局との交渉等を担当している者であるが、同人は前任者や行政当局から、近いうちに事前協議に対する同意が出る旨の話を聞いているわけではないことに照らせば、本件記事の掲載当時、間もなく事前協議に対する同意が得られることが確実な状況にあったかについては疑問であるといわざるを得ない。
また、甲第二五、第二七号証及び証人田中の証言によれば、本件開発事業は、用地の取得が進まなかったため、本申請は平成六年九月までずれこみ、そのころには、平成七年四月に着工し、平成一一年一〇月に全施設の営業を開始する予定にしたことが認められる。これによれば、本件開発事業は、平成三年ころの予定と比較すると、三年以上進行が遅れていることになる。証人坂倉は、この遅れは、本件記事の掲載によって地権者の同意の取り付けが困難になったことによるものである旨の証言をする。しかし、(1)証人田中及び同坂倉の各証言によれば、本件開発事業の対象地の地権者との交渉は、地権者が共有関係にあったり、相続が発生したり、地権者の親族等に対しても、説明や交渉をする必要がある場合があったことなどにより、順調に進まなかったものがあったことが認められること、(2)証人田中の証言によれば、用地取得の交渉が最後まで長引いた者には、相続の問題があったことが窺われること、(3)大規模な開発事業は、それに係わる事務が複雑になり、地権者等の交渉対象も広範にわたることなどから、進行が遅れがちになると考えられること、(4)坂倉も、原告が本件開発事業のような大規模な開発事業に係わるのは初めてなので、計画の内容そのものについて試行錯誤したこともあって、当初の予想より進行が遅れた旨の証言をしていること、(5)いわゆるバブルの崩壊に伴う経済情勢の変動で、開発事業、特に大規模なものは、計画の縮小や遅延等の変更を余儀なくされており、田中も本件開発事業についての計画の変更には経済情勢の変動による影響があったことを証言していること、(6)前記のとおり、富津総合開発が用地を取得して、本申請をしたのは、平成六年九月のことであり、本件記事の掲載から三年以上、事前申請に対する同意を得てからでも二年半以上を経過していることに照らせば、本件開発事業の進行の遅れには、右の地権者との交渉が順調に進まなかったこと、大規模開発事業にみられる進行の遅れ、経済情勢の変動等の要因が影響していたことが窺われ、本件記事が掲載されたことによるものと断ずることはできない。
(三) 右によれば、本件記事の掲載により、本件開発事業の進行が遅延したということはできないので、本件記事の掲載と争点3の(一)及び(二)の損害との間に因果関係があるということはできない。
2 (三)の損害について
前記のとおり、本件記事は、一般読者に、原告が広域暴力団である稲川会の関連企業であるとの印象を与えるものであるから、このことにより原告は信用失墜等の損害を受けているものと認められる。一方で、前記のとおり、原告と稲川会との間に一定の関係があることを窺わせる事情が認められ、これらの本件に現れた事情を考慮すれば、本件記事による原告の右の損害に対する賠償額としては一〇〇万円が相当である。
なお、原告は、慰謝料の請求に合わせて謝罪広告の掲載を求めているが、本件に現れた事情を考慮すれば、原告に対する名誉回復の措置としては、右の支払をもって足り、それに付加してなお謝罪広告の掲載を命ずる必要はないものというべきである。
四 争点4について
乙第五一号証、被告岡部本人尋問の結果によれば、被告石川は、本件記事の作成に関与していなかったことが認められる。したがって、原告の被告石川に対する請求には理由がない。
五 以上のとおり、原告の請求は、被告産経新聞及び同岡部に対し、一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成三年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を求める限度で理由があるから認容する。
(裁判長裁判官小田原満知子 裁判官佐久間邦夫 裁判官岡田伸太)
別紙一 謝罪広告<省略>
別紙二 産経新聞<省略>